越谷のおせんべい
「江戸の米倉」といわれ良質な米の産地として名高かった武州・越谷は、当時、農家の自家用としてうるち米を粉にして蒸し、塩をまぜて「なまこ型」にしたものを薄く切るか、薄くのばしたモチを焼いて食べていたようでした。やがて賑わいを見せた奥州街道(江戸日本橋を起点として陸奥白川(福島県白河市)までの27宿)沿いに「米の粉団子」と「手焼き塩せんべい」を商う茶店が多くなりました。
今では良質の米と醤油を使い、その長い伝統と技術で1枚1枚丹念に、当地の特色である押瓦と炭火で焼き上げております。淡白な中に深いうまさと風味を持ったおせんべいは、越谷名物として土産品や贈答用に珍重されている、ふるさとの味です。
おせんべいの歴史
おせんべいの起源は古く、千数百年前ともいわれています。元来、日本では米を蒸したものを「飯」と呼び、今でいう「強飯」が昔の常食で、これをつきつぶしたものを餅といいました。乾餅は焼いて食べる保存食として重宝がられ、戦陣に携行する兵糧でもありました。後世、塩をつけ焼いたものが「塩せんべい」と呼ばれる源流となっていきます。
江戸時代、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗る製法が好まれ、商物流の大動脈である日光街道の名物となります。手ごろな値段で軽量なことから、日光街道往来時の間食・名物として全国的にその名が広まりました。
当時の街道には多くの旅人相手の茶店があり、中でも「おせんさん」のお団子が非常においしく、往来の人々に親しまれていました。ある日、茶店に立ち寄った侍との会話にヒントを得て、つぶした団子を天日で乾かし焼餅として売り出してみたところ「おせんの餅」=「お煎餅(おせんべい)」として、一躍名物となったことが名付けの由来とも伝えられています。